: 東方蛇行録

1-4 小さな影

 それからどのくらい経ったか、小屋の階段を軽快に駆け上がる音が複数響き、扉が勢いで開かれる。
 雨粒が部屋に吹き込むが、霧を吹きつけられた程度だ。そして小さな影が2つできた。
 よく見知った顔だったので、エルデは立ち上がって出迎える。そうすると片方が勢いよく抱き着き、頭がちょうど胸のあたりにあたった。
「リーリエ! あんたなんで来たんだい」
 白髪の小さな女の子の頭にそっと手を添え、顔を覗く。
 血の気のない肌に、真紅の唇。一見してぞっとする風貌だ。
 着ている服は、白を基調として、フリルがたっぷりついたワンピース。
 丸い目の色は榛色。
 すべての色彩は唇に奪われてしまっているかの様だった。
 そして背中から映える黒い蝙蝠のような翼が、彼女が人間ではないことを示している。
「無事でしたのね。お怪我は? 」
高めの甘ったるい声で尋ねながら、リーリエは恐る恐る顔を上げる。それから濡れているが、傷一つない顔にほっと息を吐く。
「帰りが遅いんですもの。心配いたしましたわ 」
「ババアがくたばるわけないっての」
 リーリエの健気な心配とは別に、呆れたように言いながら白髪の少年も小屋に入ってきた。
「ラーイーアー」
(こんのクソガキがー)
まったく可愛げのない態度に、どうしてくれようかと腹立たしさがこみ上げる。
ひとまず気を鎮めるようにゆっくり目を瞑り、それから再びリーリエの顔を覗きこむ。
「あたしは大丈夫だよ。悪かったね、心配かけて」
できるだけ優しく微笑んだつもりだったが、リーリエはますますきつくエルデに抱き着いた。これではしばらくは放してもらえないだろう。
背と頭に手を添えて、エルデも軽く抱き込む。
リーリエの髪も服も濡れていた。雨の中探し回っていたのだろうか。
「心配し過ぎだって。ところで兄貴が見つかんねーんだけどさー」
「……。ここにいたよ」
「なんだよ、骨折り損か。で、その兄貴はどこ行ったの? 」
「大きな桶を探しに行ったよ。たくさんお湯を沸かしたかったから」
でももうその必要はない。
 ベットの方に顔を向け、寝ている青年の様子を確認する。
 寝息は穏やかで、顔色も大分戻っている。あとは目覚めて、何か食べれればもう大丈夫だろう。
 ライアもエルデにつられてベットの方を見るが、すぐに視線を別に向ける。
 リューゲは若草色の目を細めて、軽く会釈する。
「姐さん、そいつ誰? 」
 警戒の色を滲ませながら尋ねると、すかさずエルデから頭をはたかれた。
「なんだい、その訊き方は! あの人を運ぶのを手伝ってくれた親切な人だよ」
「いってー。叩くことないだろ、乱暴ババア」
「まったく口が減らないね、あんたは。リューゲすまないね。気を悪くしないでおくれ」
 相変わらずのライアに嘆息しつつ、顔だけ動かしてリューゲに詫びる。
 リューゲの方はこの状況を面白がっているようで、口角が上がったまま口が開きっぱなしだ。白い歯がちらりと見えた。
(今さらだけど、人前でやっちゃったー。笑われてるわ)
 ライアを相手にするとどうしても遠慮が無くなってしまう。
 お腹辺りにあたっていた顔がもぞりと動いた。しがみつく腕はそのままで、エルデを盾にしつつ首を伸ばす。そうしてリューゲの若草色の目と視線が合った瞬間、「ひっ」と声を漏らしエルデの影に隠れる。
「リーリエ」
 名前を呼ぶが、顔は下を向いた状態で表情をうかがい知ることはできない。しかし抱き着く腕が震えているため、怯えていることは伝わった。
 なだめるように頭をゆっくりと撫でる。
「黒い……髪、おおお、おっきな、男。ひ、人が死、んじゃ……う」
ブツブツブツと小さな声が静まった空間に響く。
 まずい。
 エルデは咄嗟にリーリエの顎に手を添えて顔を上向かせた。
 目を見開いた、榛色の目の焦点は定まっていない。
「リーリエ」
 もう一度呼びかける。
 一瞬だけエルデに焦点が合った。しかしすぐに意味をなさなくなる。
「血。……血がいっぱい。ひ、ひ、人が燃えて、炎が」
 エルデに抱き着いていた両腕は、リーリエが自身を抱きしめるものに変わった。拘束が無くなったので、エルデは身をかがめ目線をリーリエに合わせる。
「火が燃えてますわ。みんな。みんな、死んでしまうの? 」
 ここではない、どこか遠くに意識が向いてしまっている。
 とにかく正気に戻すことが先決だった。エルデはリーリエに腕を伸ばしたが、リーリエは拒むように思い切ってエルデを押しのけた。思いがけない力にエルデは後ろに倒れそうになるが、背中をがしっと支えるものがあった。
顔だけ動かして見れば、ふっと安心させるように微笑まれた。
「大丈夫ですか? 」
「ありがとう、リューゲ」
 しっかりと足を支えて立ち、前を見据える。
「リーリエ、落ち着けよ。リーリエ」
ライアはリーリエの視界を塞ぐように前から抱きしめていた。興奮してばたつかせている手が脇腹にあたるが、それでも抱きしめる腕は緩ませない。
「俺も、エルデも死なねーよ。ここにいるから」
「いやっ。きっと、きっとすべてが灰になってしまうのですわ」
「そんなことねーよ」
絶望に染まる目を覗き込み、ライアはしっかりと否定する。なおもリーリエは抵抗するが、ライアは動じなかった。
 エルデもゆっくり回り込みリーリエの後ろから、ライアごと抱きしめる。
「そうだよ。あたしも、あんたも、ライアもここにいる。灰になんかならないよ」
 二人がかりではさすがにリーリエも動くことはできなくなった。
 エルデは安心させるように、ゆっくりと語りかける。
「みんな生きてる。誰も怪我だってしちゃいないさ。リーリエ、あんたにはあたしもライアもキーファだっている。ちゃんとあんたを守るから、怖がらなくてもいいんだよ」
 ちらりとライアを見れば、ライアもエルデの方を見ていた。そして頷いて腕の力を緩めたので、エルデも腕を放しライアの横へ並ぶ。
「ほら、ここにいるだろう」
 目を合わせれば、リーリエはハッとしてキョロキョロし始める。そして再びエルデに視線を向けると、気が抜けたように表情が緩んだ。
「また迷惑をかけてしまいましたわ」
「気にすることないよ。もう大丈夫だから」
くしゃりと頭を撫でる。 
 リーリエは俯き、スカートをギュッと握りしめた。
 ライアはそんなリーリエの背中をそっと押し、小屋の入り口へ向かう。
「姐さん、俺たち先に帰ってるわ」
「頼むよ」


ライアとリーリエが小屋から出ていくと、静寂が戻ったが居心地が悪い。
「気にしないで、といっても難しいかもね。でもリーリエは大丈夫だから」
 振り向き、リューゲを見上げれば少し首を傾げていた。
「あなたはついてなくていいのですか? 」
 どうしたのだろうと思うと、ぽつりと聞かれた。
 無理もない話だ。
 心配で思わず駆けつかれるほど慕われているのだ。不安定な幼子をそのままにすることを不思議に思われても仕方ないだろう。
「しばらくは良いさ。ライアがついているからね。トラウマってのは簡単に消えないし、あたしらがどうにかしてやるのもちょっと違うからね。できることは傍で支えてやることくらいさ。歯痒いね」
軽い調子で返すが、心が穏やかなわけではなかった。
 エルデは自分の無力さを知っている。
 知っているから、覚悟を決めている。
 鶸色の瞳は悔しさを滲ませながらも、諦めているわけではない。
「彼らも森に入ったということは、亜人なのですか? 」
「そうだよ。男の子の方が天使の亜人で、女の子の方が悪魔だよ」
「悪魔ですか……。とても顔色が悪いように見えましたが」
 リューゲは軽く目を瞑り、リーリエの風貌を思い出しながら話す。
 普通の人や獣人や亜人ではない独特の雰囲気でもあった。
「悪魔は魔族の亜人なんだけど、闇夜に生きる種族だからか、太陽の光をあまり浴びないから肌の色が薄いのさ」
「そうなのですか。初めて会ったので驚きました」
 それほど驚いているようには見えなかった。しかし質問を重ねるあたり、知らないのは本当のようだ。
 エルデも知らないのも当然だと思っている。
「だろうね。悪魔は普通地上には暮さないからね。あの子は特別だ」
 たった一人、群れを離れて暮らすからにはそれなりの事情がある。
 エルデはこれ以上は話すつもりがなかった。
 静かに部屋を歩き、ベットに近づく。
 人間の男が目を覚ます気配はないが、顔色がよくなっているのは見て取れた。
「うん、大丈夫そうだね。最初はどうなるかと思ったよ」
 乾いた栗色の毛は、くるんとして顔を縁どっていた。
(あとは目が覚めて、何かを食べて街に戻ればいいところかな)
 じっと様子を伺い、算段を付ける。
「そうですね。このままでいればいずれは目を覚ますでしょう。あなたはそれまでここにいますか? 」
「そうだねぇ。そこまではいようかと思っているよ」
「あなたはお人よしですね。それが美点なのでしょうけど、彼には関わらない方がいい」
 穏やかだがはっきりと告げられる内容に、エルデは眉を寄せる。
「ご忠告どうも。それさっきも言ってたよね。あんたらの事情に首を突っ込むつもりはないけど、ここまで助けた以上は町まで連れて行ってやるつもりだよ」
「気に食わない、という顔ですね」
「そんなことないよ。町まで連れて行くのは森から離すため。あたしらの周りにうろつかれるのは困るからね。関わるのはそこまでだ。あの人がどんな事情を抱えてようが知ったこっちゃないよ」
 さっきから誰の事情も聞かないし、必要以上に関わらないと説明している。なのにどうして尚も関わるなと言われなければいけないのか。
 エルデは面倒に思いながらもリューゲに伝える。
 若草の目がじっとエルデを見つめる。
 エルデも見返す。しかしそれは甘い雰囲気ではなく、緊迫までいかない、静けさの中の交わりだった。
 先に逸らしたのはエルデだった。
 


2017.06.23
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