: 東方蛇行録

1-3 近くて異なるもの

 休憩小屋は小さいながらも、ベッドとテーブルとイスと暖炉と台所という最低限の設備はあった。
 栗毛の青年はとても冷たかったから、すぐにもベッドに寝かせたかった。しかし川を流れたこともあって服がぐっしょり濡れている。これでは体を冷やすばかりだった。
 たまたま着替えを持っていたキーファの服を、リューゲとキーファが二人がかりで着替えさせる。それからベッドに寝かせた。二人が栗毛の青年にかかっている間に、エルデは冬でもないのに暖炉に木をくべ、鍋を見つけて手持ちの水でお湯を沸かす。
「浴室はございませんか? まずは体を温めないと」
「こんなちっこい小屋にあるわきゃねーだろ」
 乾いた服を着せても体の芯が冷え切っているため、一向に栗毛の青年の顔色が戻らない。もっと根本的に且つてっとり早く解決するには、お風呂にいれることが一番だった。
「仕方ないね。大きな桶がないか探してくるから、二人ともここ宜しく」
「おい、エルデ」
「ないなら、探してくるしかないじゃないか。手が空いてるなら、川から水を汲んで沸かしておいとくれ」
 言うが早いか、エルデはさっさと小屋を出ていく。
 小屋は、街道から小道へ入った先にある森の入り口付近にある。街道に出てから街へは半日かかるが、その手前にいくつか農村があるはずだ。
 ざっと周囲を見渡して、不審な影がないことを確認する。
(一先ず、街道へ出るふりはしないとね)
エルデが目の前に広がる森から踵を返して離れようとしたとき、辺りを漂う精霊がざわりと騒ぐ。続いて小屋からドタドタと足音が聞こえ扉が開いた。
「待て、俺が行く」
 振り返った瞬間、キーファがエルデの腕を掴む。
「閉めきった小屋に俺を置いておくのは、やつらに毒だ」
「だけど」
「俺が探してくるから、お前はそれこそ湯でも沸かしとけ」
 キーファはエルデの赤い髪をぐしゃりとかき撫でると、足軽に森の中(・・・)へ駆けていく。

 森へ――

 エルデは小屋の中へ戻る。空の水袋は腰のカバンの中にしまっている。他に水が汲めそうなものがないか探す必要があった。
「彼は?」
 ベッドのそばでリューグが振り向く。手には脱がした青年の濡れた衣服があり、何かを探しているようだった。
「あたしの代わりに探しに行ったよ。あんたは何やってんだい」
「探し物です」
「見ればわかるよ。あーもう。いいよ、事情は聞かないから」
 リューゲに答える気がないことを察し、エルデはそれ以上立ち入らないと意志を示す。
 エルデにとってリューゲも、栗毛の青年もたまたま出会っただけの人だ。栗毛の青年が意識を取り戻したら、それ以上関わるつもりはなかった。
 部屋の隅に手桶を見つけたのでそれを持って踵を返す。
「あたしは水汲んでくるよ。できればあたしら……、あたしとキーファが戻ってくるまでは、小屋にいてくれると助かるよ」
 ちらりとベッドの方を見れば、リューゲがキョトンとしていた。
「あたしが勝手に世話してんだ。ここにいてもいいし、どっかに行ってもいいさ。あんたは好きにしたらいいよ」
 重ねて伝えると、今度は驚いた顔をする。
「手伝えとは仰らないのですね」
「そこまで厚かましくないよ。ここまで運んでくれたんだ。あたしにはそれで十分さ」
「なんだか寂しいですね」
 犬だったら、耳をぺたんと寝かせて啼いているところ、だろうか。
 リューゲは服を床に置き、ゆっくりとエルデに近づく。二人ともお互いから視線は外さなかった。
「馴れ合っても仕方ないだろ。あたしは案内人っていう職業柄、必要以上に関わり持つつもりはないんだ」
「本当にそれだけですか」
 探るような物言いに、訴えかける瞳に喉まで出かかった言葉が引っ込む。
 案内人の仕事をしていれば、たくさんの出会いと別れがある。そのため、こういったやり取りだってたびたび起きた。同じ言葉を繰り返し使うので、考える前に口にしてしまうくらいだ。
 今、その言葉が出てこない。
 近づくリューゲから距離を取ることもできず、エルデは棒立ちになる。
 そしてエルデの目の前まで来たリューゲは片膝を立てた状態で跪き、桶を持っていない右手をそっと自分の元へ引き寄せた。さながら騎士が婦人に愛を請うような、王族に忠義を誓うような格好だ。
「怯えなくても大丈夫です。僕たちは分かり合えます」
 若草色の目が細まって笑みを作る。エルデの鶸色の目とは、近いけれど違う色。黄緑色だが、エルデの方がより黄色に近い色だ。
 リューゲの周りでは相変わらず、精霊が楽しそうに踊っている。それからエルデの周りでも。
「あなたがいるだけで精霊がとても歓んでいます。あなたは精霊に愛された子なのですね」
 リューゲはエルデの右手の平を上に向ける。そして周りを漂っていた精霊が、そっと手の平の上に降りた。
 エルデは驚きで瞬くしかなかった。
 リューゲが確信を持って告げる言葉。そして精霊がリューゲの言葉を証明するように動いたこと。
 精霊は一瞬リューゲを振り返ったがリューゲが頷いたのを見て、人間のように腰を折って挨拶を披露する。
「僕も精霊と生きるものなのですよ。この精霊はルフトと申します」
 ルフトと呼ばれた精霊は、今度は宙返りをした。その拍子に白い衣がばさりと翻る。少しやんちゃな気質のようだ。リューゲと同じ黒い髪は肩より少し長めで、ハーフアップに結われている。くりっとした目は夜明けを告げる薄橙空の曙色だ。
 リューゲが手をベットの方へ向けた。そうすると手の平にいたルフトは、一瞬浮き上がり、両手を前にかざした。たったそれだけで、小屋の中にそっと温かな風が吹き抜ける。
「これで彼は大丈夫です」
 か細い呼気ではあるが、体に温かい空気がまとわりついたせいか体は乾き、青ざめた唇もほんのり色が戻りつつあった。
「いつから」
ようやく出てきた言葉は続かなかった。しかしそれだけでリューゲには伝わったようだ。
「一目でわかりましたよ。僕たちはとても近い存在。精霊に好かれる以外だけではなく、おそらく種族としても近いのでしょう」
「あたしが何の種族かわかるのかい? 」
 わかるわけがない。パッと見はそれほど特徴のある種族ではないからだ。人間に紛れ込んで生活しても、正体がばれることはほぼないだろう。瞳孔が縦に長いが、それでもまじまじと顔を見ない限り気づくことはない。
 しかしエルデの思いはあっさりと打ち砕かれる。
「蛇だよね、ね!」
 それも手元の小さな精霊によって。
子どものように甲高く柔らかい声が響く。どことなく褒めて欲しい雰囲気が含まれていた。
 エルデは呆然と手元を眺める。
 そうだった。精霊は世界そのもの。種族ぐらい、見ればわかるのだろう。それかエルデの傍にいつもいる精霊が教えているかのどちらかだ。
 いずれにしてもエルデが蛇の亜人なのは事実だった。目を閉じて観念する。
「そうだよ。あたしは蛇。毒は持っていないよ。あんたは……、何の種族だい? 」
 さすがに相手の種族はわからなかったので、大人しく聞いてみる。
「龍人という種族をご存知でしょうか。あなたは地に生きる蛇ですが、僕は天を駆ける龍の亜人です」
「龍って、あのひと山くらい大きな化け物で怒らせたら厄介なあれかい? 」
 たまに旅先で遠目で見ては、迂回して回避していた覚えがあったモノを思い浮かべエルデは聞く。
 無闇に襲ってくることはないが、怒らせたら大変恐ろしい化け物だ。街ひとつあっという間に潰してしまうほど破壊力があり、鋼鉄にも匹敵する鱗で体表が覆われているので生半可な武器では太刀打ちできない。冒険者協会の中でもドラゴンスレイヤーの称号は最上級の実力を示している。
 強張った様子のエルデに苦笑しつつ、リューゲは首を横に振る。
「種類はそうなのですが、僕たちの龍は、この辺ではあまり見かけないようですね。僕は細長い、それこそ蛇のような体に足が生えた龍の系統の亜人です」
「よくわかんないね、あんたのいう龍ってのは」
 ずっと足元から見上げられるのもいたたまれず、エルデは床に座り込んだ。尻も直接床に着く形のため、片膝を立てていたリューゲが今度は見下ろす形となる。
「ばれたのは仕方ないけど、あの人間には言わないでおくれよ」
「勿論です。亜人とばれるのは僕としても都合が悪いので、ご安心ください」
 

 エルデは改めてリューゲを観察する。
 話し方は丁寧で柔らかだが、体はがっちりしているようだ。袖なしコートから出ている腕は逞しさがよくわかるほど、筋肉がしっかりとついているのが見える。手もがっしりと皮が厚かったから、なにか剣など武芸を嗜んでいるに違いない。何より隙がない。
(もしかしたら、とんでもないのと知り合っちまったのかね)
 直感が、あまりよろしくないといっていた。
 リューゲは握っていたエルデの手を放し、エルデのように床に座り込んだ。
「先ほど出て行った彼は、森へ入っていったようですが、あの森はもしや」
「世界に数少ない禁域と呼ばれる、亜人にとっては安全地帯さ」
「やはりそうでしたか」
「人間は入れないから、あの人は連れて行けない。だからこの小屋に運んだんだ。人間に言うんじゃないよ」
隠しても意味がないようなので答えるが、釘はしっかりとさす。勿論です、と言ってリューゲは微笑んだ。
 


2015.01.22
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